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宮崎県の歴史

歴史年表

日向神話

第一景
瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)、日向高千穂に降臨。【天孫降臨】
第二景
瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)と木花咲耶姫(コノハナノサクヤビメ)、笠沙の岬で出逢い結婚。
第三景
木花咲耶姫(コノハナノサクヤビメ)、火中で火照命(ホデリ、「海幸彦」ともいう)、火須勢理命(ホスセリ)、火遠理命(ホオリ、「山幸彦」ともいう)の三柱を出産する。
第四景
海幸山幸の伝説。民話「浦島太郎」のもととなっているともいわれる。
第五景
豊玉姫神(トヨタマヒメ)の出産。日子波限建鵜草葺不合命(ウガヤフキアエズノミコト、神武天皇の父)の誕生。
第六景
神武天皇、東征し大和橿原にて即位する。【神武東征】

古墳時代

  • 年代
  • 時代
事項
  • 3世紀中頃〜4世紀
  • 古墳前期
新富町下屋敷古墳・宮崎市生目1・3号墳、西都市西都原13号墳。
  • 5世紀
  • 古墳中期
西都市男狭穂塚・女狭穂塚、宮崎市下北方5号地下式横穴墓。
  • 6世紀中頃〜7世紀前半
  • 古墳後期
新富町45号墳・上薗遺跡、宮崎市蓮ケ池横穴墓群、西都市鬼の窟古墳。

飛鳥・奈良・平安時代

  • 西暦
  • 年号
事項
  • 612年
  • (推古)20年
1/7 推古天皇「馬ならば日向の駒」と詠む。
  • 646年
  • 大化2年
1/1 大化改新の詔くだる。
  • 654年
  • 白雉5年
4月 吐火羅国の男女と舎衛の女が、日向に漂着する。
  • 698年
  • (文武)2年
9/28 日向国に朱沙を献上させる。
  • 701年
  • 大宝1年
8/3 大宝律令が撰定される。
  • 702年
  • 大宝2年
8月 このころまでに薩摩国が成立する。
  • 710年
  • 和銅3年
1/27 日向国が采女を貢する。
1/29 日向隼人の曽君細麻呂、荒俗を教喩して聖化に馴服させた功により、外従五位下をさずけられる。
3/10 平城遷都。
  • 713年
  • 和銅6年
4/3 日向国から肝坏・贈於・大隅・姶ら=[衣へんに羅]の4郡を割いて大隅国がおかれる。
  • 720年
  • 養老4年
2/29 隼人が大隅守陽候史麻呂を殺害し、反乱をはじめる。
  • 746年
  • 天平18年
10/5 日向国が風雨に見舞われ、養蚕に被害が多かったので調庸を免じられる。
  • 754年
  • 天平勝宝6年
11/27 宇佐八幡宮禰宜大神杜女、除名のうえ日向国に流される。
  • 756年
  • 天平勝宝8年
12/20 日向等26国に灌頂幡一具などを頒下する。
  • 761年
  • 天平宝字5年
11/17 日向国に命じ、肥前をのぞくほかの太宰府管内の諸国とともに、船121隻、兵士1万2500人、子弟62人、水主4920人を検定し、3年の田租を免じて兵士として五行の陣を調習させる。
  • 765年
  • 天平神護1年
8/1 大津連大浦、和気王の叛に連座し、位封を奪われて日向守に左遷される。
  • 766年
  • 天平神護2年
6/3 日向・大隅・薩摩の3国に台風があり、桑・麻がいたんだので、冊戸の調庸を免じる。
  • 768年
  • 神護景雲2年
7/11 日向国宮崎郡の大伴人益、赤目の白亀を献じる。
9/11 人益は従八位下に除され、きぬ=[糸へんに施のつくり]・綿その他多くを賜い、日向はその年の庸を、宮崎郡は庸調を免じられる。
  • 775年
  • 宝亀6年
11/7 日向・薩摩両国で風雨のため桑・麻が損傷したので、寺神の封戸を問わず、すべて今年の調庸を免じる。
  • 782年
  • 延暦1年
3/26 氷上川継の謀反に連座した三方王・弓削女王、死一等を減じて日向国に配流される。
  • 785年
  • 延暦4年
12/9 日向国の百姓が課役を忌避して大隅・薩摩に流亡するのを厳禁する。
  • 787年
  • 延暦6年
閏 5/5 陸奥鎮守将軍百済王俊哲、事に連座して日向権介に左降される。
  • 794年
  • 延暦13年
10/22 平安遷都。
  • 795年
  • 延暦14年
5/10 俘囚大伴阿?=[弓のしたに一]良が妻子親族66人と日向に流される。
  • 837年
  • 承和4年
8/1 子(児)湯郡都濃(農)神・妻神、宮崎郡江田神、諸県郡霧島岑神を官社にする。
  • 843年
  • 承和10年
9/19 無位高智保皇神と無位都濃皇神に従五位下をさずける。
  • 847年
  • 承和14年
7/4 日向に配された俘囚の生存者が減少したので、俘囚料稲1万7600束を減じる。
  • 858年
  • 天安2年
10/22 従五位上高智保皇神・都濃神らに従四位上、従五位上都万神・江田神・霧島神に従四位下をさずける。
  • 865年
  • 貞観7年
5/16 甲斐・能登その他5カ国とともに日向国に正式に介をおく。
  • 866年
  • 貞観8年
9/22 紀武城、応天門の変に連座し、日向国に流される。
  • 914年
  • 延喜14年
8/8 日向国の国造田6町、?=[旅のしたに月]力婦女田2町、闕郡司職田34町の地子稲を正税に混合させる。
  • 971年
  • 天禄2年
7/19 日向国が300石の舂米の貢進を命じられる。
  • 992年
  • 正暦3年
1/20 藤原保昌を日向守とする。
  • 1021年
  • 治安1年
5/28 興福寺造塔料に日向国の古塔念物を用いる。
  • 1026年
  • 万寿3年
このころ、太宰大監平季基、日向・大隅・薩摩の荒野をひらき、宇治関白頼通に献じる。島津荘のはじまりという。
  • 1046〜53年
  • 永承年間
このころ、国司海為隆、宇佐宮に富田荘と宮崎荘を寄進する。
  • 1057年
  • 天喜5年
この年、国司菅野政義、諸県荘と浮田荘を宇佐宮に寄進する。
  • 1066年
  • 治暦2年
この年、国司菅野義資、臼杵荘と新字爪別符を宇佐宮に寄進する。
  • 1083年
  • 永保3年
この年、国司多治成助、那珂荘を宇佐宮に寄進する。
  • 1088年
  • 寛治2年
この年、国司中原明俊、臼杵郡内長井院の公田16町を浮免田として宇佐宮に寄進する。
  • 1093年
  • 寛治7年
8/29 国司中原章重、那珂郡内田島荘を宇佐宮に寄進する。
  • 1095年
  • 嘉保2年
5/1 宇佐大宮司宇佐公訓、宇佐宮領として宮崎郡に柏原別符を開発。
  • 1119年
  • 元永2年
11/9 惟宗氏が大島神社境内に埋経をいとなむ。
  • 1123年
  • 保安4年
1/25 権介日下部宿弥久貞、日向在国司職に補される。
  • 1128年
  • 大治3年
1/24 島津氏の祖と伝える惟宗基定を、日向守とする。
  • 1132年
  • 長承1年
10月 権介三位日下部宿禰尚守、日向国庁執行職に補される。
  • 1149年
  • 久安5年
7月 日向国庁が、留守所をして権介三位日下部宿弥盛平を在国司に補し、国富荘河南本郷郡司らを相伝させる。
  • 1175年
  • 安元1年
2/15 勾当僧経秀・藤原大子が埋経をいとなむ。
  • 1177年
  • 治承1年
この年、鹿ヶ谷の陰謀の罪で鬼界島に流罪とされた藤原成経が、日向国を通過する。

鎌倉・南北朝時代

  • 西暦
  • 年号
事項
  • 1184年
  • 元暦1年
4/6 八乗院領日向国富荘などを含む34カ所が平頼盛に安堵される。
  • 1185年
  • 文治1年
8/17 島津忠久、島津荘下司職に補される。
  • 1187年
  • 文治3年
2/10 日下部盛平、日向在国司職を土持宣(信)綱に譲与する。
  • 1190年
  • 建久1年
1/26 工藤祐経、臼杵郡県(あがた)荘・同郡富田荘・那珂郡田島荘・諸県郡諸県荘などの宇佐宮神領四所荘の地頭職に補される。
  • 1191年
  • 建久2年
1/26 工藤祐経、源頼朝から日向国地頭職に補任されると伝える。
  • 1192年
  • 建久3年
7/12 源頼朝、征夷大将軍に任じられる。
  • 1197年
  • 建久8年
6月 「日向国図田帳」作成される。
  • 1198年
  • 建久9年
6/29 伊東祐時、父祐経の所領宇佐宮神領などの地頭職に補任。
  • 1203年
  • 建仁3年
9月 島津忠久、日向国守護職を解任。これよりのち、北条氏が日向守護職をになう。
  • 1247年
  • 宝治1年
5/9 土持秀綱、京都新日吉社での流鏑馬に参加する。
  • 1252年
  • 建長4年
このころ、祐時4男祐明田島荘、7男祐景県荘、8男祐頼諸県荘絹分(木脇)を領したと伝え、田島・門川・木脇氏の祖となる。
  • 1274年
  • 文永11年
10月 モンゴル軍、筑前に来襲。
  • 1275年
  • 健治1年
1/19 紀伊州熊野社、高智尾荘内十社大明神祠官田部宗重の所領を安堵。
2月 博多での異国警備役、日向国は秋3カ月と決定。これ以前、伊東祐光の代理で伊東祐頼が日向に下向したと伝える。
  • 1281年
  • 弘安4年
閏 7月 モンゴル軍、再度、筑前に来襲。
  • 1301年
  • 正安3年
12/24 得宗被官尾藤時綱領臼杵郡田貫田、正八幡宮に寄進。
  • 1302年
  • 乾元1年
9/5 伊東祐義、田島荘内巨田宮供僧職等を上総房良海に安堵。
  • 1306年
  • 徳治1年
7/18 奈良手向山八幡宮に日向の用途で作られた唐鞍が寄進される。
  • 1318年
  • 文保2年
6/5 田部栄直、日向国在国職の内容を注進する。
  • 1333年
  • 正慶2年
2/3 島津貞久、日向国守護職に補任。
5月 鎌倉幕府滅亡。
6/15 建武政権、島津貞久を日向国守護に補任。
  • 1334年
  • 建武1年
7/3 島津荘日向方南郷で旧北条氏一族とその類縁の国人が反乱。
  • 1335年
  • 建武2年
5/11 建武政権、島津貞久に櫛間院での野辺盛忠の違乱停止を命ずる。
12/13 木脇祐広ら国富荘などに乱入。ついで、足利氏領穆佐院に乱入。
  • 1336年
  • 建武3年
1/8 肝付兼重ら国富荘に乱入。ついで、14日、浮田荘に乱入、一族与党、宮崎荘池内城で建武政権側とたたかう。
1/29 足利方の土持氏らが、木脇祐広らを猪野見城に攻める。
3/28 肝付兼重退治のために畠山直顕を派遣。土持氏らの参陣を求める。
7/9 新田義貞方の益戸行政ら、新納院政所で那賀氏らとたたかう。
12/9 畠山直顕、三俣院高城に出陣し合戦。
  • 1337年
  • 建武4年
    (延元2年)
1/10 肝付兼重方の三俣院石山城落城。
  • 1338年
  • 暦応1年
    (延元3年)
5/9 木脇祐広、八代城で畠山直顕に降参。
5/29 飫肥・櫛間で反足利方の野辺盛忠、畠山直顕に降参。
  • 1339年
  • 暦応2年
    (延元4年)
4/13 肝付兼重方の島津荘大岩田城落城。
7/4 児湯郡現王城反足利方国人と畠山直顕方が合戦。
8/27 肝付兼重方の三俣院高城陥落。
  • 1340年
  • 暦応3年
    (興国1年)
1/1 足利直義、志布志宝満寺を利生塔に指定。
  • 1341年
  • 暦応4年
    (興国2年)
4/23 南朝の後村上天皇、芝原性虎に高知尾の三田井明覚寺跡を宛行う。
  • 1345年
  • 貞和1年
    (興国6年)
6/21 天竜寺領新田郷で殺生禁断を行う。
9/3 真幸院吉田村で収納使北原氏らと吉田村の坂氏らで所領紛争となり殺傷沙汰が発生。
  • 1346年
  • 貞和2年
    (正平1年)
10/5 長谷場久純・野辺盛政ら、島津荘領家一乗院を仰いで紛争除去の一揆契約を結ぶ。
  • 1347年
  • 貞和3年
    (正平2年)
5月 四国・中国の南朝方海賊船、南郷目井浦から内之浦にむかう。征西将軍宮懐良親王、塩見・富高郷を筑後国の国人草野澄算にあたえる。
  • 1348年
  • 貞和4年
    (正平3年)
3/18 南朝、恵良惟澄を日向守護職に補任。
この年、伊東祐重、家臣山田・河崎氏らを随行し、日向に下向。
  • 1350年
  • 観応1年
    (正平5年)
4月 田島大光寺の嶽翁長甫、「文殊講私記」をあらわし、ついで規式を定める。
  • 1351年
  • 観応2年
    (正平6年)
8月 観応擾乱の九州版が発生。楡井頼仲ら、足利直義・直冬方の畠山直顕らと志布志などで合戦。
  • 1356年
  • 延文1年
    (正平11年)
2/28 畠山直顕、穆佐院星崎村を志布志大慈寺造営料所として寄進。
  • 1364年
  • 貞治3年
    (正平19年)
7/25 北郷資忠、樺山音久に島津荘北郷三分一を譲与する。
  • 1375年
  • 永和1年
    (天授1年)
2/25 島津氏久、野辺盛久への櫛間院などの安堵を、九州探題職今川了俊に申請。
この年、北郷義久、都城をきずくと伝わる。
  • 1376年
  • 永和2年
    (天授2年)
6/2 今川了俊、南九州の武士に島津氏久の攻撃をすすめ、日向国内の領主らこれに応じる。
12月 今川満範、伊東氏祐らとともに都城の北郷氏を攻撃。島津氏久、北郷氏を援護。
  • 1377年
  • 永和3年
    (天授3年)
3/1 都城の北郷義久、蓑原で今川満範を破り、伊東祐基らが戦死。同2日、島津氏久、蓑原合戦で今川方に敗北。
10/28 村角公義・梅北久兼ら、南九州の反島津国人一揆を結ぶ。
  • 1380年
  • 康暦2年
    (天授6年)
10/16 今川満範、都城を攻めるために大隅国弥寝久清らに軍勢の派遣を求める。

室町・戦国時代

  • 西暦
  • 年号
事項
  • 1394年
  • 応永1年
7/6 島津元久、野々美谷城を攻撃し相良氏家臣千町牟田氏を滅し、樺山音久にあたえる。
  • 1395年
  • 応永2年
8月 室町幕府、九州探題今川了俊を京都に召還する。
  • 1399年
  • 応永6年
12/18 日向国内各地で一揆が勃発。
  • 1400年
  • 応永7年
7/6 室町幕府、日向国を幕府の「料国」とする。
  • 1404年
  • 応永11年
6/29 室町幕府、島津元久を日向国守護職に補任。
  • 1419年
  • 応永26年
3月 島津氏方の伊作惣二郎ら、加江田車坂で伊東氏とたたかう。
  • 1425年
  • 応永32年
8/28 室町幕府、島津忠国を日向・大隅・薩摩国守護職に補任。
  • 1435年
  • 永享7年
10/14 北郷知久・樺山孝久・高木殖家ら15人、盟約を結ぶ。
  • 1441年
  • 嘉吉1年
3/13 大覚寺義昭、自害。
12/12 室町幕府、島津持久らの追討を野辺氏らに命ずる。
  • 1444年
  • 文安1年
6/11 伊東祐立、播磨国で死去。祐堯、家督を継承する。
  • 1446年
  • 文安3年
6/20 伊東祐堯、県某の反乱を鎮圧し宮崎・細江城を奪う。
  • 1449年
  • 宝徳1年
11月 宮崎投奈古社、棟上げ。
この年、妻社が再興。
  • 1456年
  • 康正2年
11/22 土持兼綱、新納院で伊東氏とたたかい、兼綱、井倉の渡しで討たれる。
  • 1459年
  • 長禄3年
3月 伊東祐堯、臼杵郡内の反乱を鎮圧。
  • 1461年
  • 寛正2年
3/25 将軍足利義政、日向・大隅・薩摩3カ国の国人への指揮権を伊東祐堯にあたえたと伝える。
  • 1476年
  • 文明8年
9/12 桜島大噴火。
  • 1481年
  • 文明13年
この年、高知尾の柴原秀幸ら15人、阿蘇惟秀らと盟約を結ぶ。
  • 1483年
  • 文明15年
4/9 室町幕府、日向守護島津武久らに遣明船の警護を命ずる。
  • 1484年
  • 文明16年
11/14 島津武久、飫肥の新納忠続と櫛間の伊作久逸の争いに、北郷敏久らを派遣し久逸を攻める。伊東祐国、久逸援助のため飫肥出陣。
  • 1485年
  • 文明17年
4/28 伊東祐堯、清武で死去。
6/21 島津武久、伊作久逸を飫肥城に攻める。伊東祐国、戦死。久逸、櫛間城に逃亡、島津武久と和睦。
  • 1486年
  • 文明18年
4/19 伊東祐邑、日知屋で伊東祐良によって殺害される。
11/19 島津武久、飫肥・櫛間などを島津忠廉に宛行う。
  • 1490年
  • 延徳2年
12/30 室町幕府、飫肥の島津忠廉に遣明船の警護を命ずる。
  • 1503年
  • 文亀3年
5〜8月 大干ばつ。餓死者が多数発生。
  • 1504年
  • 永正1年
3/21 都於郡城炎上。
  • 1510年
  • 永正7年
10/17 伊東尹祐、綾地頭長倉若狭らを切腹させる(綾の乱)。
  • 1517年
  • 永正14年
11/14 伊東尹祐、子を殺害。祟りを除くため慶部権現を建立。
  • 1519年
  • 永正16年
10/10 大内義興、渡唐船の警護を島津忠朝に求める。
  • 1520年
  • 永正17年
7/6 伊東尹祐、北郷忠相を都城で破る。
  • 1523年
  • 大永3年
11/8 伊東尹祐、野々美谷城に出陣するも頓死。
  • 1533年
  • 天文2年
9/2 福永祐?=[日のしたに丙]父子、自刃。
11/16 財部の落合氏ら、伊東祐清を擁立し、伊東祐武をを都於郡に攻め自殺させる。
  • 1534年
  • 天文3年
2/2 米良一揆、都於郡に侵入し、伊東氏とたたかう。28日、荒武三省、戦死。
2/19 長倉能登守、祐清の弟祐吉を擁立。祐清出家。
  • 1537年
  • 天文6年
8/23 足利義晴、祐清に「義」の一字をあたえ、「義祐」と改名。
12/22 佐土原城焼失。義祐、宮崎城に移る。
  • 1541年
  • 天文10年
7/17 長嶺の長倉能登守、反乱をおこすも鎮圧される。
  • 1543年
  • 天文12年
8/25 ポルトガル船、種子島に到着。鉄砲を伝える。
9/29 油津に唐船17艘が入港。
  • 1545年
  • 天文14年
2/26 伊東義祐、島津忠広の鬼ヶ城を陥落させる。
  • 1548年
  • 天文17年
6/10 伊東義祐、薙髪。
  • 1549年
  • 天文18年
3/11 伊東義祐、飫肥の島津忠親を攻める。
7/3 フランシスコ=ザビエル、鹿児島上陸。
  • 1551年
  • 天文20年
この年、伊東義祐、奈良大仏を模し、都於郡に金柏寺を建立。
  • 1556年
  • 弘治2年
6月 伊東氏、神社領の帳簿「土田帳」を作成。
  • 1559年
  • 永禄2年
3月 伊東氏、北原三河守を都於郡に招き殺害。
  • 1560年
  • 永禄3年
6/2 室町幕府、伊東義祐と島津貴久の和睦をはかる。この年、真幸院の北原兼守、没す。
  • 1562年
  • 永禄5年
5/18 飫肥の島津忠親、櫛間に退去。
9/17 島津忠親、飫肥城を回復。
  • 1563年
  • 永禄6年
この年、外浦に唐船が入港。
  • 1564年
  • 永禄7年
12/17 飯野城の北原兼親、薩摩国伊集院に移る。
  • 1568年
  • 永禄11年
8月 伊東義祐、飯野城の島津忠平(義弘)を攻撃し破る。このころ、落合兼朝『日向記』の前半部分を編纂する。
  • 1569年
  • 永禄12年
7/11 伊東義益卒。義祐、家務を掌握する。

安土桃山時代

  • 西暦
  • 年号
事項
  • 1572年
  • 元亀3年
5/4 飯野城主島津忠平、木崎原で伊東方を破る(木崎原合戦)。
  • 1576年
  • 天正4年
8/19 高原城合戦。伊東氏、島津氏に敗北。
  • 1577年
  • 天正5年
1月 県土持氏、門川を攻める。
8月 伊東義賢、家督を継承。
11/5 福永丹波守、島津氏に内通。島津氏、山東に軍勢を進める。
12/8 伊東義祐ら日向を退去。日向国は島津氏の一国知行に移る。
  • 1578年
  • 天正6年
1月 義祐の一行、豊後国府内に着す。
4/10 大友義統ら、土持氏の松尾城を陥落させる。
11/12 耳川合戦。大友・伊東氏、島津氏に敗北。
この年、伊東祐兵ら、伊予国道後に浪人として居を移す。
  • 1579年
  • 天正7年
10/13 島津義久、県の土持綱実と盟約。
  • 1582年
  • 天正10年
1月 伊東義祐・祐兵、播磨にむかう。祐兵は羽柴秀吉につかえる。伊東マンショら、ローマへ出発。
  • 1585年
  • 天正13年
11/8 三田井氏の家臣甲斐宗摂ら、豊後国の入田氏と盟約。
  • 1586年
  • 天正14年
7/27 日向衆、島津氏にしたがい、筑前岩屋城を攻撃。
9月 豊臣秀吉の九州征伐軍、豊後に上陸。
  • 1587年
  • 天正15年
3/10 島津勢、豊後を撤退し日向国臼杵にはいる。
4/6 羽柴秀長、県・三城で島津勢を破り、耳川を越える。
4/17 島津義久、豊臣秀吉軍と高城根白坂の戦で大敗。
5/8 島津義久、秀吉に降伏。
5/25 秀吉、島津久保(義弘の子)に真幸院を宛行う。
6/8 伊東祐兵、宮崎城に入城。ついで11日、曽井城に入城。
  • 1588年
  • 天正16年
8/4 高橋元種へ臼杵一郡・児湯・宮崎郡、5日 秋月種長に新納院・諸県郡・櫛間、島津義弘に真幸院、伊東祐兵に飫肥・曽井・清武、島津豊久に都於郡・佐土原をそれぞれ宛行う。
  • 1589年
  • 天正17年
この年、秋月種長、櫛間で検地を実施。
  • 1592年
  • 文禄1年
4/17 島津・伊東・高橋・秋月・北郷各氏、慶尚道金海に上陸(文禄の役)。
6/15 梅北一揆おこる
9月 高橋元種、三田井親武を討つ。
  • 1593年
  • 文禄2年
9/15 石田三成らによる島津氏領太閤検地開始。
  • 1595年
  • 文禄4年
6/29 太閤検地の知行割で秀吉朱印状発行、都城北郷氏を宮之城へ移し、伊集院幸侃が都城にはいる。
  • 1597年
  • 慶長2年
2月 日向諸大名、朝鮮侵攻に参加(慶長の役)。
  • 1599年
  • 慶長4年
3/9 島津忠恒(家久)、伏見で伊集院幸侃を惨殺、幸侃の子忠真都城に籠城(庄内の乱)。
  • 1600年
  • 慶長5年
3/13 忠真、調停をうけいれる。
7/19 島津義弘、西軍につき伏見城を攻める。
9/15 島津豊久、関ヶ原合戦で戦死。
10/1 伊東祐兵の臣清武城代稲津重政、高橋元種臣権藤種盛のまもる宮崎城をおとしいれる。豊久戦死により佐土原が公収される。
11月 北郷忠能、都城に復す。
  • 1601年
  • 慶長6年
10/8 島津以久、佐土原を拝領。
  • 1602年
  • 慶長7年
8/17 島津忠恒、伊集院忠真を殺害。

江戸時代

  • 西暦
  • 年号
事項
  • 1604年
  • 慶長9年
この年の冬、伊東氏領内検地で5万7086石を打ち出す。
11月 秋月種長、櫛間より財部(高鍋)へ移る。
  • 1609年
  • 慶長14年
2/25 高橋氏「岩戸竿帳」作成。
  • 1611年
  • 慶長16年
この年、鹿児島藩で慶長検地はじまる(〜1614年)。
  • 1613年
  • 慶長18年
11/5 高橋元種、改易され奥州棚倉へ配流。
  • 1614年
  • 慶長19年
7/13 有馬直純、肥前日野江より県(延岡)に5万3000石ではいる。
有馬・秋月・島津氏ら大阪冬の陣に参軍。
都城領で検地、4万4000石余を打ち出す。
  • 1615年
  • 元和1年
この年、大阪夏の陣に有馬直純参軍。
  • 1619年
  • 元和5年
8/21 相良長毎の先導で幕府軍が椎葉山にはいり主取らを討伐し、椎葉山は阿蘇宮預りとなる。
  • 1626年
  • 寛永3年
5/16 高鍋藩坂田大学殺害(上方・下方騒動、〜1659年)。
  • 1627年
  • 寛永4年
10月 北郷忠能、家臣小杉氏一族を殺害す。
  • 1631年
  • 寛永8年
7月 熊本藩主加藤忠広改易され、日向諸藩出兵。
  • 1632年
  • 寛永9年
11月 鹿児島藩で寛永内検はじまる(〜翌年)。
  • 1633年
  • 寛永10年
3/28 高鍋城下で大火、104戸焼失。
  • 1634年
  • 寛永11年
10/21 鹿児島藩、都城北郷氏に惣奉行(のち上置)を設置する。
  • 1636年
  • 寛永13年
5月 飫肥藩主伊東祐久、弟祐豊に那珂郡南方・松永3000石分知。
  • 1637年
  • 寛永14年
11月 肥前島原の乱に日向諸藩出兵。
  • 1641年
  • 寛永18年
この年、延岡藩主有馬直純、弟純政に諸県郡本庄ら3000石を分知。
  • 1644年
  • 正保1年
この年、有馬純政出家し、本庄領は延岡藩預り地となる。
  • 1649年
  • 慶安2年
この年、鹿児島藩、都城北郷氏に中取(中抑)を設置する。
  • 1650年
  • 慶安3年
この年、高鍋城下・石原・蓑江で大火、計140戸焼失。
  • 1655年
  • 明暦1年
この年、佐土原藩で領内総検地、3万6546石余を打ち出す。
  • 1656年
  • 明暦2年
閏 4/18 椎葉山、相良氏預地となる。
  • 1657年
  • 明暦3年
7/17 鹿児島藩万治内検はじまる(〜1659年)。
11月 飫肥藩主伊東祐由、弟祐春に北方・東弁分3000石を分知。
  • 1661年
  • 万治4年
2月 延岡藩万治内検で7万6706石余を打ち出す。
  • 1662年
  • 寛文2年
9/17 日向大地震、飫肥藩で田畑8500石余が水没、2398人死亡。
この年、日向一円で大旱魃。
  • 1663年
  • 寛文3年
2/1 都城領主北郷忠長、旧姓島津に復す。
  • 1666年
  • 寛文6年
12/15 飫肥藩家老伊東祐葉、誅殺される。
5/28 不受不施派の下総野呂妙興寺日講、幕命により佐土原に配流。
  • 1667年
  • 寛文7年
7月 高鍋藩領福島の百姓ら965人が幕府巡検使に越訴。
  • 1668年
  • 寛文8年
この年、米良尾八重地頭、高鍋藩へ欠落する。
  • 1673年
  • 延宝1年
1/7 財部を高鍋と改める。
  • 1675年
  • 延宝3年
11/22 寛永4年以来の牛の峠境界争論で飫肥藩が鹿児島藩に勝訴。
  • 1676年
  • 延宝4年
10/25 佐土原藩主島津忠高死去し、久寿を番代とする。
  • 1684年
  • 貞享1年
2月 米良家家老米良秀栄毒殺され、米良源太夫を切腹させる。
  • 1686年
  • 貞享3年
3/25 堀川運河が完成する。
7/26 佐土原番代久寿、本藩の指示で松木氏一族を討ちとる(松木騒動)。
  • 1688年
  • 元禄1年
この年、延岡藩預地本庄ら幕領に編入される。
  • 1689年
  • 元禄2年
2月 高鍋藩主秋月種政、弟種封に諸県郡木脇ら3000石を分知。飫肥藩領南方・松永、幕領となる。
  • 1690年
  • 元禄3年
5月 佐土原藩主島津惟久、番代久寿に那珂郡島之内ら3000石を分知。
9月 延岡領臼杵郡山陰・坪谷村百姓ら300軒・1442人が高鍋領股井野原へ逃散(山陰一揆)。
  • 1692年
  • 元禄5年
6/25 延岡藩主有馬清純、山陰一揆の責により越後糸魚川へ転封となり、8月譜代三浦明敬が2万3000石で延岡へ入封、旧有馬氏領臼杵郡富高ら1町7村、宮崎郡22カ村と、那珂郡江田・新別府・吉村、児湯郡穂北が幕領となる。
  • 1693年
  • 元禄6年
5/28 飫肥城修築落成。
  • 1699年
  • 元禄12年
4/15 佐土原藩島津氏、城主列となる。
  • 1700年
  • 元禄13年
9月 寛文7年以来の梓山争論が評定所で評決。
  • 1703年
  • 元禄16年
11月 佐土原藩主惟久、譜代の宇宿久明ら真実講派を追放に処す。
  • 1712年
  • 正徳2年
7/12 延岡藩主三浦明敬、三河国刈谷に転じ、同国吉田より牧野成央が8万石で延岡で入封し幕領の宮崎郡22カ村は延岡領となる。
  • 1716年
  • 享保1年
9月 霧島山噴火、東裾野一帯に噴石・降灰による被害甚大。
  • 1722年
  • 享保7年
9/21 鹿児島藩享保内検はじまる(〜1727年)。
  • 1732年
  • 享保17年
7月 蝗が大発生して飢饉となり(享保大飢饉)、延岡藩の損毛高6万1320石余にのぼる。
  • 1734年
  • 享保19年
この年、五ヶ瀬川の岩熊井堰が完工する。
  • 1742年
  • 寛保2年
6月 延岡藩主牧野貞通京都所司代となり、宮崎郡領を畿内周辺幕領と交換し、宮崎郡はふたたび幕領となる。
  • 1746年
  • 延享3年
8月 椎葉山で検地実施、以後年貢が賦課される。
  • 1747年
  • 延享4年
3/17 延岡藩主牧野貞通、常陸笠間に移封し、19日、磐城平藩主内藤政樹延岡へはいる。宮崎郡22カ村延岡領となる。
  • 1750年
  • 寛延3年
12月 延岡領宮崎郡大塚・長嶺・富吉・瓜生野・大瀬町ら五カ村騒動おこる。
  • 1753年
  • 宝暦3年
この年、延岡藩で銀札600貫目を発行(〜1765年)。
  • 1755年
  • 宝暦5年
この年、延岡藩で支藩挙母藩勝手方用人橋本三右衛門による財政改革実施。
  • 1758年
  • 宝暦8年
米良山小川筋百姓ら、鹿児島藩領須木へ逃散。
  • 1759年
  • 宝暦9年
4月 幕領穂北百姓500人余、高鍋藩椎木村へ逃散。
  • 1765年
  • 明和2年
この年、延岡藩で有扶持制を導入。
  • 1774年
  • 安永3年
この年、延岡藩高千穂郷で麻苧の会所法施行。
  • 1778年
  • 安永7年
2/24 高鍋藩校明倫堂竣工。
5/12 都城に学舎稽古館創設。
  • 1781年
  • 天明1年
12/9 佐土原藩城下士ら、一門島津久武の更迭をせまる(天明騒動)。
  • 1787年
  • 天明7年
9月 延岡藩豪商小田氏、須怒江村復興に着手する。
  • 1796年
  • 寛政8年
この年、飫肥藩野中金右衛門に命じて杉の植林をさせる。
  • 1797年
  • 寛政9年
8月 高鍋藩大塚観瀾、『本藩実録』を完成。
  • 1801年
  • 享和1年
11月 飫肥藩主伊東祐民、城下に学問所を創設する。
  • 1812年
  • 文化9年
9月 佐土原藩、家臣知行を7カ年半高削減する。
  • 1824年
  • 文政7年
2/20 佐土原藩が師範として招聘した御牧篤好(赤報)をまもる文学派と、武道派の対立が激化し鹿児島藩が収拾(鴫之口騒動)。
  • 1825年
  • 文政8年
9月 佐土原藩校学習館創設。
この年、佐土原藩で楮本銭が発行される。
  • 1827年
  • 文政10年
飫肥藩士安井滄州、領内清武郷中野に学舎明教堂を創設。
  • 1831年
  • 天保2年
3月 飫肥藩校振徳堂なり、藩儒安井息軒、父滄州とともに召されて助教となる。
  • 1845年
  • 弘化2年
5/11 本草学者賀来飛霞、延岡藩に招かれ臼杵郡の薬草を調査。
  • 1850年
  • 嘉永3年
5月 延岡藩校広業館なる。
  • 1853年
  • 嘉永6年
この年、鹿児島藩高岡郷で銀札7万4060貫文発行。
  • 1854年
  • 安政1年
12/7 佐土原藩、藩政改革・検地に着手。
  • 1855年
  • 安政2年
4/28 都城稽古館、明道館と改称。
  • 1856年
  • 安政3年
2月 延岡藩、借財整理仕法による財政改革に着手。
  • 1862年
  • 文久2年
8月 日田郡代より延岡・高鍋藩に幕領細島の警固を命じられる。
11/14 高鍋藩主秋月種殷世子種樹、幕命により学問所奉行となる。
この年、飫肥藩清武会所から銀札発行。
  • 1863年
  • 文久3年
2月 飫肥藩、外ノ浦に砲台をきずく。
3月 佐土原藩で五隊八屯制を導入。
7/4 薩英戦争。
9/27 秋月種樹、若年寄格任命。
11月 延岡・高鍋藩、細島に砲台をきずく。
  • 1864年
  • 元治1年
3/8 飫肥藩、梅ケ浜で操練を行う。
4/24 高鍋藩幕領警固の命をうける。
7/19 佐土原藩兵、京都蛤御門で長州兵とたたかう。
8/22 延岡藩、長州出兵の進発旗本後備を命じられ、9月大坂に出陣。
9/13 延岡・高鍋藩、細島砲台場詰を免じられる。
  • 1867年
  • 慶応3年
2/15 幕領児湯郡穂北で百姓騒動おこる。
4月 延岡・高鍋・飫肥藩、最寄りの幕領をあずかる。
この年、飫肥藩士平部嶠南、『日向纂記』をあらわす。
10/15 大政奉還。この冬、都城兵、京都東寺に陣し警固にあたる。

近代

  • 西暦
  • 年号
事項
  • 1868年
  • 明治1年
1/3 鳥羽伏見の戦。
2/16 佐土原藩、関東進軍の先鋒となる。
4/4 内藤政挙、京都にて謹慎を命じられる(5/21恩赦)。
7月 米良領主米良主膳、菊池姓に復す。
  • 1869年
  • 明治2年
6/17 版籍奉還。
8/6 高千穂一揆。
8/19 細島一揆。
7/24 佐土原藩、城下町移転伺を政府に提出、この年広瀬に転城。
  • 1870年
  • 明治3年
9/12 第1回日向四藩会議。
10/24 四藩合同操練。
  • 1871年
  • 明治4年
4/2 豊後国内の延岡藩領と日向国内の日田県領を交換。
7/14 廃藩置県。
11/14 各県を統合して、美々津県と都城県設置。
  • 1872年
  • 明治5年
9/4 第一次佐土原一揆(10/3 再結集)。
9/29 高鍋一揆。
この年、美々津県・都城県で大区小区制実施。
  • 1873年
  • 明治6年
1/15 美々津・都城両県を廃し宮崎県をおく。
3/25 藩札交換開始。
  • 1874年
  • 明治7年
1/16 上長飯村ほか12カ村一揆。
5/1 新県庁へ移転完了。
8/9 県、宮崎学校設置(中学と教員養成、鹿児島県併合に伴い廃止)。
  • 1875年
  • 明治8年
この年、地租改正開始(1880年6月終了)。
  • 1876年
  • 明治9年
8/21 宮崎県が廃され、鹿児島県に合併となる。
  • 1877年
  • 明治10年
2/15 西郷軍鹿児島出発、西南戦争はじまる。
5/31 西郷隆盛宮崎着。
8/18 西郷軍可愛岳突破。
9/24 西郷軍鹿児島城山で全滅。
  • 1879年
  • 明治12年
8/1 延岡に、本県初の銀行第百四十五国立銀行開業。
9/1 飫肥に第百四十四国立銀行開業。
12/4 戸長公選。町村数411。
  • 1880年
  • 明治13年
4/21 福島邦成、橘橋架橋。
5/13 鹿児島県第一回県会、定員53人中日向選出16人。
この年、日向分県運動おこる。
  • 1883年
  • 明治16年
5/9 宮崎県再置。
7/1 宮崎県庁開庁。
  • 1884年
  • 明治17年
1/26 9郡・8郡役所制実施(東西臼杵、児湯、宮崎、南北那珂、東西北諸県の各郡)。
6/17 県、橘橋架橋。
  • 1885年
  • 明治18年
1月 宮崎県勧業会組織(1889年日州勧業会と改称)。
2/28 宮崎県師範学校開校。
12月 最初の統計書の明治17年宮崎県統計書刊行。
  • 1886年
  • 明治19年
9/7 日州教育会発足。県の官員と教員が教育問題などを協議。
  • 1888年
  • 明治21年
2/15 最初の新聞『宮崎新報』創刊。
  • 1889年
  • 明治22年
1/17 宮崎県立尋常中学校開校(現在の大宮高校)。
5/1 町村制施行(100カ町村体制)。
  • 1891年
  • 明治24年
4月 県、国道36号線(現10号線)を広瀬(佐土原町)経由の海岸線に決定。佐土原経由を主張する県会議員20人の辞職に発展。
  • 1892年
  • 明治25年
2月 第2回衆議院議員選挙に関し選挙干渉。
2月 日高亀市、日高式大敷網で鰤の捕獲に成功。
5/21 日州民党倶楽部結成。
  • 1893年
  • 明治26年
4/15 宮崎県獣医学校開設。
7/26 自由党宮崎支部結成。
  • 1894年
  • 明治27年
4月 石井十次、岡山孤児院茶臼原農林部設立(1900年一時撤退、1905年再興)。
  • 1896年
  • 明治29年
4/1 北那珂郡を廃し、宮崎郡に統合。
  • 1897年
  • 明治30年
4/1 郡制実施、郡会設置。
9/1 府県制実施。
6/10 日州倶楽部結成、県政界統一。
11月 槙峰鉱山(銅)に本県初の水力発電認可。
  • 1899年
  • 明治32年
6/6 県立農事試験場設置。
  • 1900年
  • 明治33年
4/1 宮崎県農学校設立(獣医学校と中学校農業専修科を廃止)。
  • 1901年
  • 明治34年
2/11 日州銀行開業、県の公金取り扱い銀行となる。
  • 1902年
  • 明治35年
5/28 県立図書館開館。
  • 1903年
  • 明治36年
4/1 宮崎県水産試験場設立。
  • 1906年
  • 明治39年
1/21 日向鉄道期成同盟会設立。
  • 1907年
  • 明治40年
8/1 日向水力電気株式会社開業、宮崎町に電灯ともる。
10/1 都城歩兵第64連隊区司令部事務開始(のちの歩兵第23連隊)。
10/30 皇太子行啓。
  • 1908年
  • 明治41年
5/5 東洋製材会社飯野支店の製材工場(通称フランス山、フランス資本で支配人もフランス人)で、職工解雇に端を発した本県初の工場争議発生。
  • 1912年
  • 大正1年
11/10 細田村(現日南市)に全国初の公益質庫(公営の質屋)開設。
12/25 西都原古墳発掘調査はじまる。
  • 1913年
  • 大正2年
7/4 官幣大社宮崎宮を宮崎神宮と改称。
7/20 県営軽便鉄道飫肥・油津間竣工。
9月 二原開田給水事業着手。翌年にかけ高木原・薩摩原着手。
10/8 国鉄宮崎線(現吉都線)都城まで全通。
10/31 宮崎軽便鉄道(赤江・内海間)営業開始。
  • 1914年
  • 大正3年
3/13 県営軽便鉄道宮崎・妻間全通。
  • 1916年
  • 大正5年
10/25 国鉄宮崎・都城間全通。
  • 1917年
  • 大正6年
9/21 県営鉄道宮崎・妻線を国鉄に移管。
  • 1918年
  • 大正7年
8/17 延岡で米騒動。
11/14 「新しき村」開村。
  • 1919年
  • 大正8年
11/26 県会で県外送電反対決議。
  • 1920年
  • 大正9年
2月 岡富村で本県最初の小作争議発生。
3月 県営自動車営業開始(1922年3月撤退)。
3/27 皇太子行啓。
  • 1921年
  • 大正10年
5月 県外送電反対運動もりあがる。
10/1 県立病院開院。
  • 1923年
  • 大正12年
8/23 日本窒素肥料延岡工場開設。
12/15 国鉄日豊本線全通。
  • 1924年
  • 大正13年
2月 飯野村小作争議発生。
9/25 宮崎高等農林学校設置。
  • 1926年
  • 昭和1年
8月 岡山孤児院(茶臼原)解散。
  • 1927年
  • 昭和2年
5/16 後藤勇吉、日向早作蔬菜を大坂に空輸、宣伝。
  • 1928年
  • 昭和3年
1/31 金融恐慌のため県内八行合併して日向中央銀行設立。
1月 古宇田晶知事、選挙干渉問題で依願免官(古宇田事件)。
12/15 女子師範都城移転問題で知事・政友会優位の県会と民政党優位の宮崎市と対立。この日県会議事堂に宮崎市消防組放水。
  • 1932年
  • 昭和7年
4/30 橘橋竣工、コンクリート製に。
8/2 日向興行銀行開業。
10/14 新県庁竣工式(現在の県庁)。
  • 1933年
  • 昭和8年
3/17 祖国日向産業大博覧会。
  • 1934年
  • 昭和9年
3/16 霧島国立公園指定。
  • 1935年
  • 昭和10年
11/9 陸軍特別大演習。
  • 1936年
  • 昭和11年
8月 本県出身の村社講平、ベルリン五輪の5000mと1万mで4位。
  • 1937年
  • 昭和12年
12/22 祖国振興隊第1回結成式。
  • 1938年
  • 昭和13年
2/11 この日付で県営電気認可、小丸川開発開始。
3月 日本パルプ飫肥工場操業開始。この年、黒木清次ら文芸同人誌『龍舌蘭』創刊。
  • 1939年
  • 昭和14年
12月 国鉄日の影線開通。
  • 1940年
  • 昭和15年
7/19 小丸川開発の川原発電所完成(翌年10月日本発送電に吸収)。
11/25 紀元2600年奉祝会。八紘之基柱竣工式。
この年、油津のマグロ水揚げ約8万トンの記録。
  • 1941年
  • 昭和16年
4/7 一県一紙統合で日向日日新聞社誕生(現在の宮崎日日新聞)。
  • 1943年
  • 昭和18年
3/1 バス会社、統制で宮崎交通1社となる。
  • 1945年
  • 昭和20年
6/29 延岡市大空襲。
8/6 都城市空襲。
8/10 宮崎市大空襲。
9/16 枕崎台風。
10/17 軍政部設置、初代部長マスマン少佐。

参考文献:坂上康俊|長津宗重|福島金治|大賀郁夫|西川誠(2002)『宮崎県の歴史』山川出版社.